日東化工機株式会社
 
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ニュースリリース
 

創業の原点は上水道用の鉛管製造

同社は、下水処理場等の脱臭装置のほか工場設備における排ガス洗浄処理や耐食ライニングにも優れた技術をもっている。
たとえば「NT―ニューPB型」と命名された排ガス洗浄処理装置の一種は、筑波研究学園都市の研究機関に120基も納入されており、「耐食性が抜群で、風量への対応が敏感で安定性が高い。しかも目詰まりがなくコンパクトで経済的だ」と専門家の評価も高い。
また「PVCライニング」に関しても同社の施工技術水準には高い評価を得ている。PVCライニングとは、先に述べた耐食性プラスチックを装置の内側に張ることだ。昭和40年代に銅電解槽のライニング工事を施工したのを皮切りに、その評判は海外にまで伝わり、国際入札でカナダの精練メーカーの大規模ライニング工事をも受注している。
現在でも、この技術は東京都下水道局の脱臭装置の内面PVCライニング仕様に脈々と生きている。
このように書くと、日東化工機は当初の水道管事業を捨てて、環境機器メーカーに変身したと錯覚されるかも知れない。しかしビジネスの原点は水道用の鉛管にあり、その分野でも依然としてリーディングカンパニーなのである。
これについて説明するためには、まず同社の沿革を知らなければならない。
「昭和10年4月、先代社長であった父が合資会社・日東鉛管製造所を設立し、水道用鉛管の製造を開始したのが当社の創業です。父はそれまで非鉄金属問屋で番頭のような仕事をしており、その関係から取引先の破綻した鉛管メーカーの再建に取り組んでいました。父の話では、建て直しに成功した手腕を買われ、同社を譲り受けたとのことですが、創業当時、すでに東京や横浜市に水道用鉛管を納入する数社の一社に数えられていたそうですから、まずまずのスタートだったと思われます」
創業の昭和10年は、現社長の牛込氏が誕生した年でもある。
「戦時中は軍需工場に指定され、空襲にも遭いましたが、水道事業は戦後復興の最大課題の一つだったために、比較的早く立ち直りに成功しました」
順風満帆に思われた同社に、予想もしなかった技術革新のショックが襲った。塩化ビニールの出現である。軽く安く加工しやすい点で水道用の塩ビパイプは鉛管の強敵となった。
「父は早くから塩化ビニールに注目しており、昭和29年には社内に合成樹脂部を発足させ、プラスチックの研究に取り組みました。当初は、パイプの材料となる塩化ビニールの生産からはじめようと考えたそうですが、膨大な設備資金が必要だと知ってあきらめ、販売と二次加工に徹することに決めたそうです」その後の沿革を見ると、昭和31年、合成樹脂部門を分離し、資本金200万円で日東プラスチック工業株式会社を設立。合成樹脂製品販売と設備工事および加工業務を本格的に開始したとある。
そして同じ年、積水化学工業から原料の供給を受け、同社との間で一次代理店契約を結び、翌32年には積水化学工業の指定加工工事店となっている。
「塩ビパイプを手がけるといっても、金属からプラスチックへの転換ですから、技術的には苦労の連続でした。父も一時は止めようと考えたくらいです。なにしろ鉛を扱えば名人といわれた職人も、プラスチックとなると、ずぶの素人なんですから…」